自分の原点

9月に入りました。(2にちですが。。)
2016年もあと4か月で終わります。

ここ何年かは自分の思い描いたビジョンがその通りにすすんでいます。
今年も一歩一歩確実に前に進めています。
それは最高の出会いと最高の経験のおかげだと思っています。
あとは、自分自身が自分をものすごく価値のある人間だと信じているからだと思っています。

毎年あるグループの方々とビアガーデンに行くのですが、今年も行ってまいりました。
とても楽しいひと時を過ごしました。
その時に母の話になりました。
その母の話をしたことがきっかけで自分史が見えたような気がしました。
ですので今日はちょっと自分と母の話を。。。

3人兄妹の真ん中に生まれた私は、父母が自営をしていたためもあってかほったらかしで育てられた(そうです。ほとんど記憶にない。。。)。
私は自分では自由に育ててもらったと思っています。

自分で言うのもなんですが、小さいころから発想がユニークで、当時引っ込み思案だった私は一人で遊ぶことが好きな子供でした。
その時に妄想ごっこをしたり、こうなったらいいのにとかいろいろ頭の中で想いをめぐらせることが好きでした。
実際に行動して(それがとても危険なことでして)母親にめちゃめちゃ怒られたこともありましたが、基本、干渉されなかったことが今の私の素になっているのかなと思っています。
勉強も遊びも干渉されたことがないし、やりたいと言った習い事はほとんど経験させてくれました。
私が何かやらかしてしまったときは、母は私を責めずに相手に菓子折りをもって謝りに行っていました。
大人になってそのことを聞くと母は
「あんたには何にも心配してなかったし、信じてたからね~」と教えてくれました。

大学進学の時も、希望は地元の兵庫や大阪の大学を狙っていたんだけど、短大以外全て落ちました。
当時の担任に岡山に新設大学ができるのでそこには希望の学部があるからとすすめてもらって受験し、合格しました。
でもそこは私立だし、一人暮らししないといけないし、兄も進学して一人暮らししてるからお金がめちゃくちゃかかるからと、地元の短大に行くか四大だけど県外に出るかどっちか迷ってると言ったら
「お金の心配なんかせんでええ。あんたがほんまに行きたい方にいったらええねん。」と言ってくれ、結局岡山の大学へ進学しました。
父もそうでしたが、特に母は仕事をいくつも掛け持ちして朝から晩まで私たちの為に働いてくれました。だからかなりしんどかったと思います。

母は自身が5歳の時に実母(おばあちゃん)を亡くし、一回り上の姉(叔母)に育てられたので、母の愛情を知らない人で、厳しい姉に甘えることができなかったそうです。
いつも母は「私はお母さんの愛を知らないから、あんたらにどう接していったらええんかわからへんし、抱きしめたりすることが照れくさい」と言っていました。
今となっては母の愛情を感じることができますが、確かに私自身も母に対して甘えたことがなかったような気がします。

そんな感じで母はべたべたな愛情表現はなかったけれども、私たち兄妹をしっかり育ててくれました。
母のぶっきらぼうな愛情が私を作ってくれたと感謝しています。
私は目に見えない未来に対してあまり恐怖心はありません。むしろわくわくします。
それまでに人並みに色んなことを経験してきたから、何が起こっても自分を持つという芯もでき、恐怖心はなくなったんだとも思います。
自分が価値ある人間であるという想いを持てるのも母のおかげだと思っています。
母の愛情に感謝です。

今はもう面と向かって言えませんが、天国でちゃんと見てくれているような気がします。
母が亡くなってからの方が距離も近くなったような気もしています。
何かあったときは母に報告し、朝起きたら朝日に向かって手を合わせご先祖様と吉備津彦の神様に向かって感謝します。

どんなことがあっても、守られている気がします。
だから私は苦労をかけた母の為に自分の夢を叶えたいと思います。
天国から母が「あれが私の娘やねん。がんばってるやろ~。すごいやろ~。」って天国仲間に自慢できるように(笑)